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軍事演習〔1〕

管理人訳

    まもなく演習執行部の伝令将校が、封鎖地帯にはもう人影がないと伝えるようだった。将官はなお抽出調査を指令していたが、心配は根拠のないものだと分かった。農家は調べた限りどれも空で、演習を始めてよかった。
    最初に演習執行部の野外車が進軍した。軍代表団のジープの列が続く。最後尾は衛生班の車両。輝く晴天の下だ。ノスリのつがいが陽光に輪を描いていて、ヒバリが荒れ野にとまっていて、薮の中、道ばたの数百mおきに、モズがとまっていて、ホオジロの群れがキラキラ飛び散っている。
    上官連は機嫌がよかった。それ以上進むことはなかった。おそらく45分。その時将官の車両が野道からそれた。他の車両がゆっくり続く。エニシダから成る短い丘陵のへりで止まった。そこでは準備万端。野戦炊事車〔2〕が湯気を立てていて、軍用販売品(Marketenderware)が広げられていて、野外電線が引かれていて、折りたたみイスが周囲に置かれていて、平原を見渡せる双眼鏡がいくつも用意してあった。
    将官がまず戦闘演習の概要を手短に述べた。おもに戦車と歩兵部隊との戦闘が行われるとのことだった。将官はボツボツと・侮蔑的に・皮肉調子でものを言った。気付いてほしいものだが、自分はこの演習を茶番だと思っている、空軍が来ないからだ。
    演習地は北は低松の広大な保護林が、南は埋め立てた沼沢が境になっていた。東に行くにつれてモヤがちらつく荒野の風景になる。演習地は見通しづらい。ビャクシンの数多くの群、荒野とエニシダとでおおわれた丘と窪地、これらがあって、演習地は戦車にとってやっかいだった。加えて、これらの間に散らばった農家があって、副官がしみじみ言ったように、農家は、対戦車砲と歩兵砲の陣地〔3〕に宿命付けられていた。
    正午になった。上官連が食事につかったブリキ皿を伝令兵らがちょうど片付けて、丘のあちこちで煙草の青い煙雲が無風の空に登り、ヒバリの歌とコオロギの単調な鳴き声とに混じって、遠くから、戦車隊の鈍いキャタピラ音〔4〕と喘息気味のエンジン音とが近づいてきた。同時に、移動性の薮〔5〕が演習地の至る所で見えるようになってきた。薮は幾度も絶えず風景に溶け込んだ。そこかしこでホオジロ隊が怖々と飛び立って、それでやっと、歩兵が陣地を取っていることがしのばれた。
    おそらく30分たった。双眼鏡でどうにかそれとわかったが、低松林から最初の戦車隊が姿を現して、すぐ後に、もっと小規模だが迷彩していない歩兵部隊が続いた。まもなく、沼沢の周りにも、深い段がついた戦車隊の陣地がせせりあがっているのが見えた。空気がとどろく。音響でヒバリの歌がかき消される。だがヒバリがまだ先程のように空を飛んでいるから、音は遠くで鳴っているのだと分かる。その間に迷彩服の歩兵は地面を掘って身を潜めた。農家の近くで配置についた対戦車砲と歩兵砲も偽装網に姿を消した。
    だんだんと将校連が双眼鏡を上げる必要を感じ出した。それまではやや所在なさげに脇に立っていたが、戦車が砲門を開いたのだ。最初は戦車は演習地をむやみに機銃掃射していた。が、さらに南から近づいてきた陣地が減速して大きく反動をつけてギザギザに移動して北側の陣地と一体になろうとしたら、もともとの演習地にさらに爆撃をするようになった。
    地面の下の歩兵部隊の頭上を戦車が通る。部隊は戦車の大部分が過ぎるまで待っていた。そこでようやく分隊ごとに攻撃に転じた。ある分隊は対戦車砲と歩兵砲で身を守って戦車付きの歩兵を、他の分隊は様々な特殊兵器でもって戦車を攻撃する。戦車はしぶとく大儀そうに防御を固めている。戦闘はたけなわだ。
    不幸なことに風が一陣来たって、土埃と砲煙を雲にして演習執行部のある丘に吹き寄せた。しばらく将校蓮は何も見えなかった。その周囲のエニシダの薮に、不安にかられたあらゆる鳥が舞い込んできた。ゴシキヒワやホオジロやモズやだ。その不安で鳥が近しくなった。将校蓮もまた戦火に困らされている荒野の住人の一群なのだと鳥が考えているかのようだ。
    将官は労して立腹を気取らせまいとした。それは難しくて、風は自分に刃向かっていると怒りを見せた。にわかに、戦闘の音が予期せず弱まって、突風が煙幕を破り、将校蓮が奇妙な光景を目にした。
    戦車が挟撃を行って演習地は全体が数平方kmに縮んでいたが、そこが、羊たちでひしめいていた。羊たちは、死ぬほどの恐慌をあらわにして、信じ難いような巨大な、押しつぶし合い溶け込み合う幾本かの奔流をなして、戦車の間で荒れ狂い回っていた。
    戦車部隊は停止して、羊をこれ以上威嚇しないようにエンジンを切った。対戦車砲と歩兵砲も同じく沈黙した。双眼鏡から見ると分かるのだが、手近な農家の窓という窓から兵の顔がのぞいていて、この奇怪な見世物に目が釘付けになっている。戦車のハッチも開いて、2~3の戦場メイク顔が出てきた。大気はまだ何とか戦闘音ではちきれんばかりになっていたが、突如羊蹄の何千もの音だけで満たされた。それは乾いた地面の上で、まがまがしく巻き起こる暴力的な太鼓のように聴こえた。ときおりだが、半ば窒息した羊の鳴き声が太鼓に混じる。
    将官は怒りのシミを顔に浮かべて、。演習地の撤退行動を任じられている伝令将校をふりかえった。
    将校は青ざめた。ぎこちない弁解でどもって、釈明のために主張できたのは、羊が戦闘演習地の外だけから闖入してきたのだということだった。
    来客が居ることだから、将官はこれに答えるのを我慢して、戦闘司令部に電話をかけた。声を震わせて命じたところでは、羊がただちに消え失せるように、件に責任を有する上官は適確な指令をすみやかに下すようにということである。
    戦闘司令部の将校らはわが身をふりかえった。状況の痛々さは将校らにも明らかだ。だがこの狂った羊の群の潮から身を守るすべがあろうか。将官が多少容易に身を守っていることはわかった。とにかく、将校は北側の陣地に砲撃命令を出し、同時に、南側の戦車陣地に、羊が通行できるようにと命じ、相変わらず波のようにごった返している演習地が川の流れになって排出されていくとの希望を持った。
    だが羊は別の掟に従っていた。一斉射撃〔6〕が鳴ると、たしかに群れの1つ1つは大いに驚いたが、排出口の前で羊の流れは突然せきとまり、立ち往生し、もしかすると先程よりも我を失って盆地にあふれ返った。塹壕に伏せている歩兵は全力をふりしぼって、頭上で雷鳴のごとくとどろいている羊の蹄から身を守っていた。
    将官はもう立腹を隠せなかった。戦闘司令部に再度電話をかけ、演習終了後に将校に責任を問うと受話器に怒鳴りこんだ、将校は是非ともよく見ておくように、このような羊の群れはどう取り扱うのか、われ将官は貴官らに教練として手本を示す。次に軍代表団に一言申して、伝令将校に自分の代理を命じ、ジープで丘を下り、羊が群れ集っているど真ん中に乗りつけた。
    だが将官が思っていたようにはもう既になっていなかった。羊は戦車は恐れてはいたが、その恐慌〔7〕からすれば将官のジープは些細なものだった。すぐさま将官は挟み込まれて前にも後ろにも進めなくなった。
    将官が考えていたのは、歩兵を何部隊か集めて、その助力で羊を排出口に持って行こうというものだった。それは不可能だと分かった。だがもう1つ分かった。分かったのは、自分がバカみたいになっているということだ。軍務官ら〔8〕が丘の上から双眼鏡で見ているのを首筋に感じ、自分が笑いものになって冗談が飛ばされているのを心中で聞いた。
    言い知れぬ怒りが急にこみ上げてきた。2つの世界大戦と数10の戦闘をくぐりぬけてきた自分を、のろまで家畜本能に従うだけの羊の群れが笑いものにするだと?
    頭に血が昇るのを感じて、アクセルを踏んで進めと運転手を怒鳴りつける。運転手が従い、車輪がうなりをあげて埃立つ土にめり込む。だが車は動かない。車の周りの羊の大波がさらに圧迫しているのだ。将官は怒り狂って拳銃を腰帯から抜き、羊の群れに向かってむちゃくちゃに撃って弾倉を空にした。その時、車の片側でちょっとしたことが起きた。車は波風に運ばれるようにふらついて、若干傾いて、将官と運転手が反対側に移る前に、慎重なぐらいゆっくりと転倒した。
    ややあって、将官は自分の上を疾駆している羊の蹄からどうにか身を守り、痛む脚をジープの縁から抜き出した。朦朧として立ち上がり見回した。
    世界が羊だけでできているように見えた。目が届く限り、羊毛の背中がえんえん連なっている。戦車は水没間近の鉄の島といった体でせり出ている。
    ここでやっと将官が気付いたが、自分とジープの周囲に羊のいない空きができてあって、羊たちが何かから尻込みしているようだった。頭を打って気絶している運転手の方を向こうとしたら、この空きの中にもう1人いる気配がした。それは重い息をついている大きな雄羊だった。
    雄羊は不細工なカタツムリ角を生やした毛むくじゃらの頭を構えて立っていた。白目が赤に変わっていて、胸と前脚が体の中のエンジンで振動しているように震えていて、できたばかりの銃創が首と角の付け根に見えている。そこから黒い血が細くあふれ出ている。血はイボの付いた胸をゆっくり流れていた。
    将官にはすぐに分かった。この雄羊を自分はさっき負傷させたのであり、この雄羊に今は対峙しているのであると。拳銃ポケットを探るが空だ。
    用心して、雄羊から目を離さないようにして、ジープの方に1歩探り出した。ジープを自分と雄羊の間にしたかった。将官が硬直を解いたのを目にすると、雄羊は2~3度軽やかに跳躍しながら突進してきた。将官が横に跳ぶと、雄羊の頭が車体にめりこむ。雄羊は身をゆすって、一瞬めまいを起こして沈んだ。
    心臓が喉まで打って、将官は額と掌に汗を感じた。怒りは飛んで行った。演習地の丘の上にいる上官連が話していることなどもう考えていない。考えているのは、殺されてたまるか殺されてたまるかということだけ。もはや将官ではない。不安〔7〕だ、裸で震えている不安だ。内心には不安以外何もない。
    雄羊がこちらに向きかえった。気違いじみた痛みが腹に走る。頭の中でエンジンの回転が悲鳴を上げる。嘔吐した。崩れ落ちた。倒れている間にも雄羊は再度カタツムリ角の丸太を腹に突き立てる。この大地に自分をつなげているものが裂けるのを感じた。エンジンの回転が何とも言えぬ単調な弦の一弾きに転じた。意識を失った。
    将官が命を危険にさらすなどとは誰も思っていなかった。戦車乗組員の何人かと丘の上の将校はたしかに、ジープが引っくり返って雄羊が将官に突撃した時に、何か名誉に関わる痛ましいことを印象に受けたが、とはいえ、雄羊が将官の命取りになるなどという考えは誰にも浮かばなかった。それゆえ、将官が起き上がらなくなってみれば、将校は奇妙な気分だった。将校の一部は気をそらそうとしたが、一部は、どうすれば将官のところまで羊の海をかきわけれるのかと考えあぐねた。
    上官連は手をこまねいているしかなかったが、そうしている辛さを取り除いてやったのは羊たちであった。まったく不意に、見えない命令に従うかのように、群れを整える渦のようなものが、なおもせかせかと押し合いしている群れの中心で発生して、それが羊の河の大きなものも合併していって、その渦から力任せの吸引波〔9〕が一挙に離脱、渦をたちどころに巻き上げつつ、演習の野全体を背後にのけていって、モヤがちらつく荒野へ・東へ注いでいった。羊は短時間でそこへと、巨大な赤みがかった土ぼこりの雲の向こうへと消えていった。
    伝令将校が戦闘司令部の将校らと同時に転倒したジープのところに着いたら、衛生兵らが戦車兵らに補助してもらって将官の死体を既に軽金属担架〔10〕に乗せていて、救急車に運んでいた。将官の運転手が手伝っていた。
    戦闘演習を再開するのは得策でないと思われた。そうするには戦車隊が出発地点に戻らねばならない、それはガソリンをたっぷり3倍消費することと同等なわけだ、だから最古参の将校が、演習を即座に打ち切るのが責任上よろしいと考えた。
    上官連は失望して野外車にブラブラ向かった。運転手がエンジンをつける。大儀そうに向きを変える戦車と集合している歩兵の部隊とを通り過ぎて、ジープの列が進軍した。最後尾は衛生班の車両。
    長くはかからなかった。歩兵隊も退去した。対戦車砲と歩兵砲が続く。後には野戦炊事車が残るばかり。伝令兵らが炊事車に折りたたみイスを積み込む。報告兵〔11〕2人が野外電線を取り外す。この作業もまもなく終わった。野戦炊事車の運転手が口笛で兵らを呼ぶ。みな車に乗り込む。念入りに水を撒いてある灰の山をあとにして、野戦炊事車はブレーキを効かせながら丘を降りていった。
    これで、戦闘開始時にエニシダの丘に下りてきていた鳥たちに生気が戻った。鳥は身をゆすって丁寧におめかしする。いくつかの群れに分かれて平原に舞い散っていく。平原では相変わらず動きもせずにヒバリがとまっている。その歌がコオロギの単調な鳴き声・ハチの飛ぶ音・ノスリのつがいの酔った叫びに溶け合っていた。

▲冒頭

〔1〕これはシュヌレ(Wolfdietrich Schnurre, 1920-1989)のショートストーリー「軍事演習」(Das Manöver, 1952)の全訳である。底本はこれ:
Schnurre, Wolfdietrich: Das Manöver. In: Klassische deutsche Kurzgeschichten. Hg. v. Werner Bellmann. Stuttgart 2003. (Reclams Universal-Bibliothek. Nr. 18251.) S. 134–144.

〔2〕Goulaschkanone(またはGulaschkanone)。Feldkücheのこと。グーラッシュ(Goulasch)という名前のシチューは作りやすくて野戦中によく作られていた。その際に使ったFeldkücheのあだ名が「グーラッシュ大砲」になった。

〔3〕PAK- und IG-Nester。「PAK」はPanzerabwehrkanoneのこと。「IG」はInfanteriegeschützのこと。それらが布置される軍用拠点がdas Nest。

〔4〕Gleitkettenrasseln。「Gleitkette」はあまり使わない言葉だし、「キャタピラ」の意味ではなおさらあまり使わない。キャタピラはふつう「Gleiskette」。だが戦車が出すRasseln音はキャタピラの音しかない。

〔5〕wandernde Büsche。第2段落目で描写してあるモズのことだと思われる。第2段落目と同様、ホオジロとセットで描写されてあることからもそう思われる。

〔6〕Schußsalve。Salveは「礼砲」の意味だから、ここでは羊を殺傷する目的での砲撃は行われていないと推定できるかもしれない。いずれにせよシュヌレの文章では説明が極度に省略されている。

〔7〕Angst。羊が登場する第12段落目の「死ぬほどの恐慌」はTodesangst。羊たちが怯えているその対象は明示されない。というより、羊たちがとらえられているのは不安(Angst)である。不安は対象を欠いた感情である。羊たちの大河の爆流を形成しているのは、漠たるパニック感情であり不安である。後段で将官も不安にとらわれ、不安そのものになる。

〔8〕Militärattachés。der Attachéは官僚名。ドイツ語の軍事用語は外来語ばっかり。

〔9〕eine gewaltige Sogwelle。これは羊たちを指していると思われる。見えない命令にしたがって魔法の渦が発生、この力が羊たちに作用して、羊たちは東の排出口へ吸い込まれていく波になったというのがここらへんの記述の言いたいことだと思われる。

〔10〕Leichtmetallbahre。委細不明。

〔11〕Nachrichtenleute。委細不明。